朝日新聞と本多勝一(崔泰英)が70年代になってから、突如として「南京大虐殺」キャンペーンをやり始めた

朝日新聞と本多勝一が70年代になってから、突如として「南京大虐殺」キャンペーンをやり始めたのは、戦後20年以上経って事実を知る人間が減ったから。



悪魔の本多勝一

朝日新聞と本多勝一(崔泰英)
が70年代になってから、突如として「南京大虐殺」キャンペーンをやり始めたのは、戦後20年以上経って事実を知る人間が減ったから。

当時南京攻略戦には日本から数百人もの従軍記者が押し掛け軍に帯同していたのに、誰1人「大虐殺」なるものを写真に納めたり、見聞きした者はいない。


朝日と本多(崔)は、終戦直後の捏造拡散では、支那に出兵した元軍人や記者達から猛抗議を受ける事を分かっていたのだろう。それと戦後の言論空間が、日をおうごとに“自虐的”な空気に染まっていったタイミングとそれから当時支那が、文革の真っ最中だった事もあったと思う。


毛沢東の紅衛兵が支那大陸で猛威をふるっていた時代、日本から来た本多(崔)が「旧日本軍の残虐行為を教えて下さい」などとやれば、支那人は喜んで反日捏造話を本多(崔)に吹き込んだことだろう。


本多(崔)は、それでも「中国の旅」を朝日に掲載後、日本人から「事実と違う」と抗議を受けた。本多(崔)は、その人達に向かって「文句があるなら、中国人に言え!私は彼らから聞いた話をそのまま載せただけだ」と嘘ぶいた。


反日捏造話のほとんど日本人のふりをした在日朝鮮人によって拡散されて来た。これこそが歴史の事実である。



生年不明という怪しい人物 本多勝一


1970年代初頭、朝日新聞社内に広岡知男社長や森恭三論説主幹の指導によって安保調査会が結成され、反米親中を旨とする編集方針が定まると共に思想的転回を遂げたとされる。


また、『WiLL』2006年8月号p.71によると、この時期の本多は任錫均という朝鮮系の左翼理論家から多大な影響を受けたという(この件に関して、本多自身はいくつかの著書で「被害」と言っている)。


本多はこの時期、日本共産党系の通信制市民大学である勤労者通信大学に変名で在籍し、社会科学を学んだことも明らかになっている。熊谷京二郎という変名を名乗ることもあった。





百人斬り競争とは
 
野田少尉(左)と向井少尉(右)
昭和十二年夏、支那事変がおこりました。日本軍は北京や天津をつぎつぎ攻略していき、八月には じまった海での戦いも、十一月には日本軍の追撃戦となりました。そして、十二月一日、首都南京の攻略が決定され十三日、南京が陥落しました。
 国内は戦勝に沸き、それに呼応するかのように、十一月末から十二月にかけ、毎日新聞にふたりの将校の華々しい記事が載りました。
 記事とは、どちらが早く中国兵百人を斬るか競争が行われているというものでした。向井敏明少尉と野田毅少尉のふたりが、毎日十数人の中国兵を斬りながら南京に向かっているというのです。
 そのころの新聞には、このような創作記事がよくみられました。ヨタ記事だと批判されもしましたが、戦争のさなか、戦意昂揚の記事だとして、深く受け止められることもなく、若いふたりの将校の名は有名になりました。


敗戦、ふたりの将校は銃殺刑に
戦友の小笠原芳正氏に託された野田少佐の遺書
ふたりの将校が国内で有名になったころ、中国ではこの記事が殺人競争と歪曲され、南京虐殺のひとつとして、宣伝されていました。
 ふたりの将校のみならず、日本のだれもが、殺人競争に作りかえられていることは知りませんでした。
 戦争はつづき、向井敏明少尉は歩兵砲の指揮官として戦いつづけました。野田毅少尉も、飛行機の操縦桿を握り、ビルマの南機関に所属し、と戦いつづけました。
 昭和二十年になり日本は負けました。南京での戦いは遠い八年も前のことになっていました。
 敗戦から二年、突然、ふたりの将校は殺人競争の容疑で南京に連れていかれました。まったく思いもかけぬことでしたが、百人斬り競争はつくり話ですから、説明すれば簡単に理解してもらえると考えていました。
 しかし南京の軍事法廷では、南京虐殺が問われ、昭和二十三年一月二十九日、二人は銃殺刑に処せられてしまいます。
 遺族たちにとっては、あきらめきれません。運命を悔やむしかありませんでした。
『中国の旅』が伝えた百人斬り競争
 それから二十数年経過した昭和四十六年、朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という連載のなかで百人斬り競争を取り上げました。
 そこに書かれたものは、毎日新聞が報じたものとも、南京の軍事法廷のものとも違っていました。
 ふたりは上官の命令で殺人ゲームを行い、百人斬り競争を三度も繰り返した、と書いてあるのです。
 その記述に対して、ただちに作家の鈴木明が疑問の声をあげました。そして鈴木明は、ルポルタージュという手法により、百人斬り競争がまったくの虚構であ ることを明らかにした上、毎日新聞の創作記事がもとにふたりは裁判にかけられ、毎日新聞の記者が創作を認めなかったため、ふたりは死刑になったと明かにし ました。
 それらをまとめた『「南京大虐殺」のまぼろし』は大宅ノンフィクション賞をもらうとともに、ベストセラーとなりました。
 百人斬りが架空であることは、そのころの代表的な評論家や作家だけでなく、小田実など左翼文化人も認めることとなりました。
虐殺記念館に展示されるふたりの将校
鈴木明に対して本多勝一は反論できませんでしたが、連載が終わると本多は『中国の旅』を単行本として上梓しました。『中国の旅』には日本人の考えつかないような残虐行為が記述されていたため注目され、多くの人に読まれました。
 まったく反論できなかった本多勝一ですが、といって百人斬り競争を書いたことが間違いだったと撤回したわけでなく、そのことには一切ふれず、しばらくすると、百人斬り競争を捕虜のすえもの斬りだと言い出してしまいます。
 本多勝一が素直に謝れば、すべてが解決したのですが、逆に居直ったのです。
 『中国の旅』はそのまま刊行されたため、何年かすると、百人斬り競争を事実と勘違いする人もあらわれ、小学校の試験にだされたり、昭和六十年に建てられた南京の虐殺記念館では、ふたりの将校の写真が等身大に拡大され、もっとも目を引く展示物とされるようになりました。
遺族を悲しみに
向井千恵子さん
 このようなことは遺族を悲しませました。
 ふたりの将校は南京の雨花台で処刑されたのですが、向井少尉の遺児である向井千恵子さんは、何度も南京に行って父の霊をなぐさめていました。南京虐殺の 展示会は日本各地で開かれ、ふたりの将校の写真が展示されていたので、野田少尉の妹の野田マサさんはそれらに抗議したこともありましたが、受け入れられる ことはありませんでした。
 次の世代になれば、百人斬り競争の真実を知る人もなくなり、百人斬り競争が歴史事実として残るおそれが強くなりました。それを心配したふたりは、自分たちが生きている間になんとしても正したいと考えるようになりました。
 そんなとき、向井千恵子さんが稲田朋美弁護士と会いました。弁護士生活を十数年送ってきた稲田弁護士は、そのときから相談相手となり、訴訟という方法で正しく知らせることができるのではないかとアドバイスしました。
 これがきっかけで平成十五年四月二十八日、野田毅少尉の妹野田マサさんと、向井敏明少尉の娘エミコ・クーパーさん、向井千恵子さんの三人が本多勝一たちを訴えることにしました。
 『中国の旅』を書いた本多勝一、それを単行本として発行する朝日新聞、百人斬りの創作記事を掲載した毎日新聞、捕虜のすえもの斬りを書いた『南京大虐殺否定論13のウソ』を出版した柏書房。
 これら四者により、ふたりの将校とその遺族の名誉は毀損され、遺族のプライバシーと故人に対する敬愛追慕の情が侵害されたと訴えました。
 高池勝彦弁護士らが加わり、十一名の弁護団が結成されました。
東京地裁への訴え
百人斬り競争が虚構であることは三十年も前に決着しているので、まず、そのときの論争の経緯を証拠として提出することにしましたが、遺族は、それよりも遺書が重要だと考えました。
 銃殺刑をまえにして、ふたりの将校は遺書を書きました。それら遺書は、同じように拘留されていた同胞によって日本に持ち帰られ、半世紀もの間、遺族によって保存されてきました。
 遺書は、創作記事を書いた毎日新聞の記者を恨むこともなく、銃殺刑の判決をくだした南京軍事法廷を非難することもなく、百人斬り報道は記者との雑談のなかから出た冗談話で、それが記事になったことすら当時は知らなかった、と淡々と書き記しています。
 死をまえに飾ることはなにもありません。この遺書を読んでもらうことが一番だと弁護団も考えました。
「日華親善の捨石」となる決意を述べた向井少佐の遺書
向井少尉遺書(抜粋)
「我は天地天命に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等への罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。 然れ共魂は大八洲に帰ります。わが死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善、東洋平和の因となれば捨石となり幸いです。中国の奮闘を祈る。中 国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死して護国の鬼となります」
野田少尉遺書(抜粋)
「俘虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。お断りいたします。死を賜りましたことについては天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以て、残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願いいたします。宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、 面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨み晴らさんが為、一方的裁判をしたりなされない様祈願いたします。我々は死刑を執行されて雨花台に散りま しても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶ ものであります。何卒、我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願いたします。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」
佐藤振壽カメラマンの証言
百人斬り競争が虚構だと誰もが認めたにもかかわらず、訂正することも、謝ることもしない者が相手です。遺書や論争記録のほかに、さらに証拠をつきつけなければなりません。
 百人斬り競争の報道には五人がかかわっていました。ふたりの将校のほか、記事を書いたふたりの記者と、ふたりの将校を撮ったカメラマンです。このうちカメラマンの佐藤振壽さんが健在でした。
そして、佐藤カメラマンは九十一歳という高齢でしたが、当時のことをよく覚えていました。
 佐藤カメラマンに当時のことを話してもらうことも大切だと考えた遺族は、佐藤カメラマンの証人申請をして認められました。
 平成十六年七月十二日、証言台にたった佐藤カメラマンは、南京に向かう途中で百人斬り競争の話を聞いたときのことを、「百パーセント信じることはできません」「あたかもチャンバラごっこみた
いに、目の前の兵隊を、一人斬った、二人斬ったと、そういうような戦争の形は私は見てませんから信用できません」と話しました。
 当事者の見聞ほど重要なものがないのは言うまでもありません。
本多を証人申請
さらに遺族たちは、本多勝一の証人申請もしました。
 本多勝一は『中国の旅』で中国人の言うままを書いたと語っていますが、そのような一方的な記述は記者として許されるものなのか、あるいは、百人斬り競争 を捕虜のすえもの斬りに変えたのはなぜなのか、それらを問いただし、百人斬りが虚構であることを改めて指摘しようとしました。
 ところが本多勝一は証人尋問を拒否しました。
 訴えが不当だというのなら、証人台に立って、いかに『中国の旅』に書いたことが正しいか、いかに百人斬り競争が事実かということを証言すればよいのです。
 それにもかかわらず本多勝一は拒否しました。
 拒否したことは、『中国の旅』の記述も、捕虜のすえもの斬り記述も、反対尋問で崩壊することを恐れたからでしょう。
 さらに驚いたことは、本多が拒否しただけでなく、法廷が本多勝一の証人を認めなかったことです。
 すでに、この段階で判決は出ていたといえるでしょう。
 このほかにも、遺族は証人申請をしました。
 野田少尉は、毎日新聞の報道で有名になったため、故郷に帰ったとき、出身の学校で講演を頼まれています。その講演を聞いたひとりが、野田少尉は中国兵の 捕虜を斬ったと話したと記述していました。そのため遺族たちは、当時を知る人を探して野田少尉の講演内容を確かめますと、そのような話を聞いた人はおりま せん。遺族たちは、そのような人の証人申請もしました。
 しかし、法廷はそのような証人も認めませんでした。
地裁判決下る
平成十七年八月二十三日、東京地裁で判決が下りました。
 判決は、毎日新聞の報道を「虚構であることが明らかになったとまで認めることはできない」とし、本多勝一の『中国の旅』などの記述についても「一見して明白に虚構であるとまでは認めるに足りない」と判定しました。
 遺族の訴えをみとめなかったのです。
 訴訟の経緯から、このような判決が予想できなかったわけではありませんでしたが、恐れは現実となりました。
 野田マサさん、エミコ・クーパーさん、向井千恵子さんら遺族の落胆は見ていることができません。
 弁護団長の高池勝彦弁護士、主任弁護士の稲田朋美弁護士、そのほかの弁護士も気落ちを隠せません。
 この日傍聴に集まった支援者は百人を超えていました。判決言い渡しの後に行われた集会では、判決に対する驚きとくやしさの声が次々とあがりました。
裁判官は、遺書のなかに真実を見つけることができなかったのでしょうか。三十年前に決着のついた論争の経緯を理解できないのでしょうか。本多勝一が証人尋問を拒否している事実をどうとらえているのでしょうか。
 だれもが納得できませんでした。
高裁における審議
 二月二十二日、控訴審が開かれました。
 開廷一時間前から支援者は集まり、傍聴を締め切るころ、その数は六十名を超えました。東京高裁でこそ、という気持ちがあったからでしょう。
 その数日前、遺族たちの提出した準備書面の一部は認められない、と高裁から高池弁護団長に連絡がきました。
 このようなことは控訴審で往々にあり、その場合、地裁の判決がそのまま踏襲されてしまいます。
そのため、遺族と弁護団が集まり、意見陳述を認めるよう、それとともに本多勝一の証人尋問を求めるよう、改めて要請することにしました。
それに対して裁判所からは、補充弁論を五分以内で認める、という返事があっただけでした。
 このようなことから、厳しい控訴審が予想され、法廷は開廷まえから緊張感がみなぎりました。
 予定通り午後二時に開廷しました。開廷まもなく、主任の稲田朋美弁護士が補充弁論のため立ち上がり、裁判所の認めなかった準備書面を読みあげました。その内容は、マスメディアが報道の名前のもとに国民の人権を踏みにじった地裁の判決を指摘するものです。
東京地裁の判決を読むなら、改めて熟慮してほしい点であり、このような主張すら法廷は聞こうとしないのかというのがこの時の傍聴者の気持ちでした。
 本多勝一側から格別の発言はなく、二時二十五分ころ、協議と称して裁判官は退廷しました。五分ほどして裁判官は戻ってきましたが、発した言葉は、これで 口頭弁論は終結にします、というものでした。高裁では分かってもらおうと意気込んでいたところ、一回だけの口頭弁論で終わりだというのです。
 ただちに高池勝彦弁護団長が裁判官忌避の申し立てをしましたが、終結後の忌避です、と一言、裁判官たちは退廷してしまいました。
 傍聴者は唖然とするだけでした。
不当判決に遺族から悲憤の声
 
野田マサさん(中央)
一週間後の三月一日、申し立てた裁判官忌避は却下になったとの知らせがあり、つづいて三月十二日、判決期日は五月二十四日(水)に決まったとの知らせがありました。
このように、控訴審は一回だけの口頭弁論で終わり、五月二十四日午後一時十分から控訴審の判決を迎えることになりました。
 五月二十四日、東京高等裁判所(石川善則裁判長)にて控訴審判決の言い渡しがあり、遺族の訴えは棄却されました。第一審判決とほとんど変わらない、原告側の訴えを無視した不当判決です。
 また平成18年12月22日付けで、最高裁から高池弁護士宛に書状がとどき、最高裁への上告は棄却されました。










コリア情報ステーション 

 「百人斬り」訴訟とは 
http://www.mukai-noda.com/h1.html
 より転載


女性が知っておきたい韓国人による性犯罪の実態




強姦致傷、レイプ魔の顔写真 強姦事件の犯人、被災地での性犯罪レイプ事件 被告への求刑で最高 韓国の治安、性犯罪率、レイプ被害者支援センター通報先、大月孝行被告


韓国人による強姦事件は日本国内でワースト1であり、多くの被害者を出してきました











テレビ報道では、一般的な韓国人を知るのは難しいと言われています。










(以下は、2006~2007年の一年間に報道された韓国人による強姦事件)







「金平和」容疑者




大阪市内で、女性宅の窓ガラスを割ってベランダから侵入。
帰宅した女性を縛ってバッグに詰め、自宅に持ち運んで監禁し2日間強姦を繰り返す。


さらに5月上旬にも別の女性宅に侵入、スタンガンでショックを与え目隠しをして自宅に連れ込み、
6日間にわたって強姦を繰り返した上、現金約20万円を奪った。


被害者は19人










ニュース映像(クリックできます)





※多くのマスコミが「山元平和(やまもとひらかず)」と偽名で報道。 (犯人が韓国人であることを隠す)









「金寿明」容疑者 (在日朝鮮人)




大阪市生野区の路上で、暴力団を装い女性を車中に引きずり込んで強姦を繰り返す。


大半は現場に残された体液のDNAから判明。被害者は12歳~24歳の女性18人







ニュース映像(携帯版)





朝鮮系メディアである朝日新聞は、「金寿明(本名)」ではなく「松岡寿明」と偽名で報道した。


(犯人が在日朝鮮人であることを隠すため)







在日韓国人 「徐一(ソ・イル)」容疑者




大阪ミナミの周辺で、暴力団組員を装って女子高生に強姦を繰り返す。2件で体液のDNA一致。


大阪府警の調べでは2ヶ月間で16人の被害者









法廷で被害者の女性を侮辱しており、悪質







在日朝鮮人 「高直幸」


女子高生を山梨県内の山中で強姦、さらに別の10代少女を相模原市内で車中に引きずりこみ強姦





在日韓国人 「金龍義」容疑者

大阪市内のトイレやマンションで女性を刃物で脅し強姦を繰り返す…合計4件の事件で指紋、体液のDNAが一致。


※この事件を報道したのは産経新聞(関西版)と一部のスポーツ紙のみ





在日朝鮮人 「金義昭」容疑者


京都府内で「トイレを貸して欲しい」と言って民家に上がりこむ手口で女性6人を強姦





在日韓国人 「金保」


京都で女性35人を強姦、被害者のうち7名が告訴





在日韓国人 「千大福」


岐阜市内の19歳の女性に対し、暴力団を装って脅迫し自宅に連れ込んで強姦



韓国人 「李正遠(イ・チョンオン)」



浜松市内の住宅に侵入し、一人で家にいた15歳の少女を強姦。
2006年6月頃から強姦事件が20件ほど発生しており、手口が似ていることから警察では余罪について追及
















韓国人 「李桐昊(イ・ドンホ)」




東京都で3人の女性を強姦。


【犯行の手口】 オートバイで帰宅中の女性を物色し、対象を決めると歩いて尾行。
オートロックマンションの場合、正面出入り口ではなく非常階段から侵入し、
女性が自宅部屋に入るのと同時に押し入る手口で強姦。


「オートロック式マンションでも非常階段は鍵がかかっていないことが多く犯行を行いやすい」と供述。


李容疑者は韓国からの留学生















在日とは=日本に定住する韓国人と北朝鮮人を指す。(約65万人います)










空き巣、窃盗の逮捕者は中国人がワースト1


強姦、殺人などの犯罪者は韓国人・朝鮮人がワースト1



窃盗 1位 中国人  2位 韓国・朝鮮人
殺人 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
放火 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
強姦 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
暴行 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
傷害 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
脅迫 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人
恐喝 1位 韓国・朝鮮人  2位 中国人




平成16年度の刑法犯の外国人検挙数(警察庁)
http://www.npa.go.jp/toukei/keiji25/H16_27.pdf













日本のマスコミは「韓国・朝鮮人のイメージが悪化しないように」本名を報じないないことが多く


判明するのは氷山の一角です。








(最近の有名な強姦事件一覧)


宋治悦(ソン・チヨル) 韓国人  目白通り沿いに住む女性(主婦含む)19人を強姦。
乱暴後も朝まで居座る、口封じ行為を行う、と言った悪質な手口。「目白通り連続婦女暴行事件」としてテレビ局でも報道され、銀行の防犯カメラより加害者が判明
金允植(キム・ユンシク) 韓国人  韓国で強姦事件を起こし、指名手配される直前に逃亡目的で来日(98年9月)。
大阪市内で夫が出勤後の民家を狙い主婦を連続強姦。2年間で被害者80名以上。
ぺ・ソンテ 在日韓国人 女子小学生14人を強姦
李昇一 在日韓国人 フジテレビ関係者を名乗り少女を連続強姦 被害者約140名
李東逸 韓国人 檀国大学教授。芝居観覧のため来日中、日本人女優を強姦
加害者には在日韓国人の弁護士がついたが、その後被害者女優は告訴を取り下げた。
沈週一 在日韓国人 ベランダから部屋へ侵入する手口で女性9人を強姦
張今朝 在日韓国人 「探し物がある」と小学校4年の女児を誘い強姦
崔智栄  在日朝鮮人 車中で休息中の女性2人を木刀で傷を負わせ強姦
金乗實 在日朝鮮人 同上、共犯者。もう一人19歳の共犯者(北朝鮮籍)あり【同上】
織原城二 元在日韓国人 帰化人、英国人に薬物を飲ませ乱暴、他6件の強姦容疑で起訴
金保(永田保) 在日韓国人 教会内で日本人少女35人に強姦、うち7名に対する罪で起訴
金義昭  在日韓国人 京都、大阪府などで、トイレを借りるように装い民家に侵入
10~20歳代の女性を狙い6件の強姦を繰り返す。
文相勲(ムン・サンフン) 韓国人

飲食店に勤務する松山市の女性(23)方に侵入し髪の毛を掴み倒して強姦。

李仙吉 在日韓国人 駅で待ち合わせ中の女性にカッターナイフで脅し、近くの空き地で強姦。
その後も女性を解放するまで、自宅アパートで10時間強姦を繰り返す。








「日本のマスコミの問題点」




日本のマスコミは、韓国・朝鮮人の犯罪を隠す傾向があります






目白通り沿いの連続婦女暴行事件では19人の女性が強姦された後、
防犯カメラに映った犯人の姿が大きく報道され、テレビでも報道特集が組まれました。
しかし、韓国人の「宋治悦」が逮捕された途端、マスコミはこの事件に一切触れなくなりました。




被害者が集中した目白通り
事件発生現場




「金允植」という韓国人は韓国で強姦事件を犯して指名手配され日本に逃げてきました。
しかし、マスコミはこの事実を知っていながら『日韓友好』に配慮し、一切報じませんでした。


強姦される女性たちを見殺しにしたのです。


金允植が逮捕されたのは、約2年間で80人以上の女性が強姦された後でした。
しかも、「金允植の逮捕」を報道したのは『産経新聞のみ』だったのです。








韓国人「朴聖列」が逮捕された時のニュース




皆藤愛子、韓国でタクシーに乗りレイプ未遂、事件に巻き込まれ




「本名=朴(パク)聖列」だと、容疑者が韓国人であることが分かるため


朝日新聞などの朝鮮系メディアでは、「江波戸(えばと)聖列」と偽名を使用


(一例です)

















日本に住んでいる、200人に1人が在日韓国・朝鮮人です









韓国人がレイプ目的で女性を襲って拉致する現場
(韓国の強姦発生率は日本の10~20倍、
申告率が4%程度であるため、実際はもっと多い)





終戦直後、在日韓国人による強姦・レイプ被害を知る女性












在日韓国・朝鮮人の特徴




在日は批判されたり、警察に逮捕されたりすると、「日本に無理矢理連れて来られた被害者なんだ」とウソをつき始めます。


さらに、在日はそのようなウソを何度もつき続けることで、それが本当のことであると自分で信じこむ習性があります









在日韓国・朝鮮人の正体は、被差別地域「全羅道(南部)」「済州島」の、被差別身分「ペクチョン(白丁)」です。




戦後65年間、「朝鮮半島に帰りたい」と訴えた在日が一人もいなかった理由は、
帰国すると、差別を受けたり、「軍隊」に入らないといけないためです。(兵役逃れ)








韓国人たちは「兵役逃れ」で日本に来日し、「在日」として日本に永住するケースが増えています。















朝鮮学校の無償化を除外する、準強姦罪との違い






国会で話題になっている「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが在日であることです。


この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。




「外国人参政権法案」の国会提出回数



公明党   27回(賛成)
民主党   15回(賛成)
共産党   11回
(賛成)
自民党   0回(反対)
国民新党 0回(反対)







外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)


民主党は韓国民潭からの要請を受けて提出


社民党・共産党も賛成 (共産党は被選挙権も要求)




※「自民党、国民新党、みんなの党、たちあがれ日本」は”反対”


















外国人参政権に対する各政党の考え方






外国人参政権に反対するデモをしていた市民グループを、創価学会員が一日中付きまとう









※創価学会(公明党)は、外国人参政権を最も推進している団体




創価学会員が、「外国人参政権の反対派」に対して、異常なストーカー行為を行うのはそのためと考えられる。













「在日コリアン(朝鮮人)に選挙権を与え、共生社会を実現したい」 ~民主党:末松議員
















「日本の裏側」




(日本に移住する朝鮮人・韓国人は増加しています)




南アフリカ、外国人犯罪裁判員裁判と強姦致死、戦争被害者、阪神・淡路大震災、東北地方太平洋沖地震のニュース、フジテレビの韓国ゴリ押し報道に対する抗議デモ、山口県光市母子殺害事件、強姦致死、本村洋










日本で異常な韓国ブームが起こっている理由





「日本のマスコミには、朝鮮学校出身者(韓国・朝鮮人)が多いんです」






「日本の裏側」 ←必見








報道できない韓国のタブー


より転載
 「日債銀乗っ取りに加担した国賊」



「サーベラスのダミーとなって日債銀乗っ取りに加担した国賊」である孫正義と、
「ロスチャイルド系の石油メジャー」の人間に育てられた「サラブレッド」の小沢 Thursday, June 2, 2011
http://insidejobjp.blogspot.com/2011/06/blog-post.html#more を見てしまいましたので、今回は以下を載せておきます。


http://2chnull.info/r/part/1298719535/101-200

186:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:23:57.72
日債銀の「消えた不正融資資金」は、サーベラス[Cerberus Capital Management]=オリックスの宮内義彦が指揮する日本の農産物輸入自由化=コメの輸入自由化を、 「即座にではなく、段階的に行う」に際し、強硬に「即座に市場開放」を求めるアメリカ議会スジ、アメリカの農業団体のトップを懐柔するために渡された「ワイロ」として消えている。








この「市場開放、コメ輸入自由化」を強行に進めるWTO[World Trade Organization]の創立者が、リーマン・ブラザースの取締役ナサニエル・サミュエルズ[Nathaniel Samuels]である。 リーマン・ブラザースの経営者ピーターソン[Peter G. Peterson, 1926-]の同志である。このナサニエル・サミュエルズは、ニクソン政権の経済担当国務次官特別代理であった。ニクソン政権の大統領補佐官がピーターソンである。政界においても、ピーターソンの同志が、WTO創立者ナサニエル・サミュエルズである。

CIAよりも、さらに凶暴なMI6のピーターソン=サーベラスが、日債銀の貯金を「窃盗し」、アメリカ議会・農業団体のトップに配り、コメ輸入自由化の「遅れ」への怒りを懐柔する。 窃盗されたのは日本人の銀行預金である。 こうして日債銀は、資金に「穴が、あいた」=不良債権、使途不明金の「山」となり倒産した。



倒産原因となったピーターソン=サーベラスが、倒産を口実に日債銀を乗っ取り、次に、日債銀に集まっていた不動産融資をテコに、日本国中の優良不動産の乗っ取りを大々的に展開した。


これが、90年代のバブル崩壊の、真相、2011年に至る「日本の失われた20年」の真相である。 その真相を知る人間を、ホテルの一室で、絞殺し、事実が闇に葬られて来た。


現在、「学者」としてのピーターソンは、対日強硬派で知られるアメリカの国際経済研究所IIEのメンバーとして、ポール・ボルカー[Paul Volcker, 1927-]、ジョージ・シュルツ[George Pratt Shultz, 1920-]と共に、対日・経済政策を「練り上げている」。 ピーターソンの恩師シュルツ、そして、オバマ大統領の金融政策の最高ブレーン=ボルカーである。 2011年の、超円高の、「振り付け師」達である。


188:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:26:54.58
なお、サーベラスが日債銀を乗っ取るに際し、単独での乗っ取りでは、サーベラスが日本人からの批判のターゲットになる事を考慮し、 乗っ取りの「協力に参画した」のが、孫正義のソフトバンクである。

孫正義は、乗っ取りが完了すると、ソフトバンクの持っていた日債銀の株式の全てをサーベラスに売却しているソフトバンクが、サーベラスの「仮装会社」であった事が、この売却劇で分かる。


この孫正義は長らく、スカイ・パーフェクトTVの経営で、「世界のメディア王ルパート・マードック[Keith Rupert Murdoch, 1931-]」のニューズ・コーポレーション社と提携関係にあった。


その際、スカイ・パーフェクトTVの常務が、フジTVの境政郎であった事は、サーベラスの別働隊として動いた孫正義のネットワークを見るには興味深い。このマードックのスカイ・パーフェクトTVが、ヨーロッパでの他の衛星放送会社を乗っ取るに際し、その責任者=M&A担当責任者となっているのがジョン・ソーントン[John Lawson Thornton, 1954-]であり、このジョン・ソーントンはゴールドマン・サックスの敏腕投機屋でもある。 そして同時に、ジョン・ソーントンはフォード自動車の取締役でもある。


189:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:27:04.19
孫正義、サーベラス、ゴールドマン・サックス、フジTVの、金脈が、透けて見える。 そして、その触手=サーベラスの触手が、先のGM、クライスラー、そしてフォードへと、アメリカのビッグ3全域に及んでいる様も見て取る事が出来る。この マードックのニューズ・コーポレーション社の傘下には、株式指標ニューヨーク・ダウを発表するダウ・ジョーンズ社と、世界の投資家の投資指標・新聞= 「ウォール・ストリート・ジャーナル」がある。 株価を決め、どの株式に投資すべきかを決めるのは、すべてマードック、と言う事になる。

孫正義、サーベラスが、乗っ取りを仕掛ける企業の株式に関し、「ウォール・ストリート・ジャーナル」が、悪評を書き立て、「暴落させる」。 こうして、乗っ取りを行いやすくし、乗っ取り成功の後には、好材料を、「ウォール・ストリート・ジャーナル」が書き立て、株式を上昇させ、乗っ取った企業の経営を容易にし、経営を軌道に乗せる。 株価の上下を自由に操るのが、ダウ・ジョーンズ社と、「ウォール・ストリート・ジャーナル」のマードックであり、マードックと孫正義、サーベラスは、ビジネス・パートナーである。 これが企業乗っ取り屋と、ニューヨーク・ダウ、「ウォール・ストリート・ジャーナル」との、談合のカラクリである。


マジメに株式・債券の値動きを予測するために罫線グラフを追う投資家達が、水晶玉に世界全体が映ると妄信し、呪文を唱えるカルト宗教の信者である事が分かる。世界の真相は、水晶玉の中にも、統計指標にも、「ウォール・ストリート・ジャーナル」等の新聞=メディアにも、公式発表されるニューヨーク・ダウにも「無い」。


今後、郵便局を巡り、日本国債の暴落・急上昇=日本人の貯金の略奪を演じるに際し、こうしたメディアは「主役を演じる」事になる。 サーベラスによる、郵便局資金の「事実上の乗っ取り」は、前哨戦に過ぎない。 
これから、この郵便局を「使い」、日本国債の価格操作と、日本の全ての銀行にある日本人の全ての預金の略奪が始まる

191:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:32:04.60

日債銀が、サーベラスに乗っ取られ、「あおぞら銀行」と改名する前夜、2001年9月20日、日債銀の社長であった本間忠世が大阪の阪急インターナショナルホテルで首吊り死体となって発見されている。 捜査に当たった大阪府の曽根崎警察署は自殺であると断定し、刑事捜査を全く行わなかったが、自殺の夜、本間社長の宿泊する部屋の隣室からは、隣の部屋で異常に騒がしい物音がするとホテルのフロントに苦情が来ていた

本間社長は自殺の寸前に、「1人で、大暴れしていたのであろうか?」  それとも、本間社長は何者かに襲撃され、殺害されまいと激しく抵抗し、その暴力ザタが、隣室に「異常に騒がしい物音」として聞こえていたのであろうか?


本 間社長が首吊り用のロープをかけた、カーテンレールには、人間1人の体重が加わった場合に起こる変形・湾曲が一切、見受けられなかった(カーテンレール は、カーテンの布地の荷重に耐え得るだけの設計しか、なされていない。 人間の体重全体を支えるような強固な作りは通常、されていない)。 しかも、自殺前後の本間社長の行動を跡付けて見ても、自殺用のロープを購入できるような店舗に立ち寄った形跡が全く無く、「どこからロープを入手したの か」、現在も全く不明である。

こうした事実の積み重ねは、日銀から送り込まれ、日債銀の「不明朗な融資先の解明」を行おうとしていた本間社長が、日債銀の資金を略奪したマフィア・グループの正体を突き止めかけたため、何者かによって殺害された事を強く物語っている。


通常、政治・経済的「謀略」では、その謀略工作によって利益を受けた者が、その「画策の真犯人である」。 日 債銀の「預金の略奪者=犯人」が迷宮入りし、明るみに出ない事によって、「スムーズに、あおぞら銀行と改名され」、その経営陣を支配し、日本国内の優良不 動産の山を異常な安価で入手した乗っ取り屋=サーベラスが、この「本間社長の他殺」によって、最も利益を受けた者である。

192:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:37:38.04
この殺害=乗っ取り後、「あおぞら銀行」と改名した旧・日債銀の経営陣には、サーベラスのマネージング・ディレクターであるスティーブン・A・ファインバーグ[Stephen A. Feinberg, 1960-]が、最高指揮官として座っていた。

この人事からは、「あおぞら銀行」が、正に、アメリカ・デラウェア州に本拠地を持つサーベラス社そのものである事が明確に見えて来る。このサーベラスの会長のイスには、父ブッシュ大統領の副大統領ダン・クエール[James Danforth "Dan" Quayle, 1947-]が座っていた。

CIAの最大資金源である、麻薬密売用の麻薬を精製しているアメリカ最大手の製薬会社イーライ・リリー社[Eli Lilly and Company]=CIAの最大資金提供企業の経営者ダン・クェールである。

CIAの麻薬取引部隊は、CIA内部で最も凶暴・乱暴な、「脅迫・殺人部隊」である。またサーベラスの、社外取締役のイスには、子ブッシュ政権で経済担当大統領補佐官となるローレンス・リンゼー[Lawrence Lindsey, 1954-]が座っていた。

193:FROM名無しさan:2011/02/27(日) 19:37:45.90
このリンゼーの出身母体である、ネオコン派の牙城の一つであるAEI=アメリカン・エンタープライズ研究所には、子ブッシュの副大統領チェイニーの妻リン・アン・チェイニー[Lynne Ann Cheney, 1941-]が上級研究員のイスに座っている。

このサーベラスの会長ダン・クェールは、元々、アメリカの穀倉地帯=コーンベルトのインディアナ州選出の下院議員から副大統領に抜擢されたが、このクェールの「同志・同伴者」として、インディアナ州選出の上院議員を長年務めているのが、リチャード・ルーガー[Richard Lugar, 1932-]上院議員である。 このリチャード・ルーガーが、アメリカ政府の商品先物取引委員会CFTC=Commodity Future trading Commission で、小麦・トウモロコシ・原油・貴金属等へのギャンブル投機を推進する「規制緩和」政策を推進し、2000年、アメリカ議会で「商品先物近代化法[Commodity Futures Modernization Act of 2000]」を通過させた、「元祖・ギャンブル投機屋」である。 この上院・下院議員を政治的ブレーンとしてきたのが、乗っ取り屋サーベラスである


2009年、破産した世界最大の自動車メーカーGMが、自動車の製造に専心せず、株・債券、上記の「商品先物取引市場」でギャンブル投機を繰り返し、そのギャンブル投機の失敗による債務=借金が、GMを破産に導いた事、そのギャンブル投機の実働部隊がGMの子会社GMACである。

こ のGMACの株式51%を握り、ギャンブル投機を担当して来たのが、サーベラスである。このGMの破産は、「偽装倒産」であり、GMが、その隠し資産に よって、破綻した自動車メーカー=クライスラーの買収に乗り出していた事実も既報の通りである(破産状態のGMが、余裕資金でクライスラーを買?)。そし て、GM同様、ギャンブル投機によって経営破綻したクライスラーは、サーベラスによって経営されて来た。




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歴史は繰り返されるんじゃないかな。






8月って、7月の次じゃん。










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見たらわかっちゃうんですよ。



さてはてメモ帳 Imagine & Think! 

より転載