中国が絶対崩壊すると断言できる7つの理由①~一党独裁は永久には続かない
世界史において、誕生と崩壊を繰り返してきた封建君主により、世界中の多くの民衆は恐怖と苦難と死を味わってきた。だが、20世紀半ばに誕生した中国共産党が統治する帝国下の民衆ほど耐え難い苦しみ、夥しい数の死を味わってきた民衆を私は知らない。私はキリスト教徒でもキリスト教に対する背教者でもないが、中国でこの数十年間に発生した数々の惨劇について考えるとき、イエス・キリストが述べた「人間は神の名において皆平等なのです」という言葉を到底信用する気になれない。
中国人は19世紀半ばより、数々の戦争による苦難を味わってきた。そして1949年に中華人民共和国が建国されたとき、多くの民衆は歓喜に湧き、将来に対する希望を隠さなかった。しかしその後の30年間に彼らが経験したことは、それ以前の100年どころか、それ以前の4000年間でさえも経験したことのない苦しみであった。今私は文章を書いていて、自らのボキャブラリーの貧弱さを嘆かずにはいられない。先ほど私は「苦しみ」という語を用いたが、中国人が受けたその状況は「苦しみ」という語で表現できるほど生易しいものではないからだ。
中国共産党は建国以来、数え切れないほどの大量の残虐行為、無差別大量虐殺を行ってきた。
建国初期には「土地改革」と称して地主の土地を強制的に剥奪した。その方法は「強制的」という語を当てはめるには到底不適切なもので、地主の家へ乱入し、女子供構わず殺戮し、家財道具を無差別に略奪し、ついでに土地の所有権も奪うと言うものであった。こうして建国初期に夥しい数の地主や富裕層が犠牲となった。
1957年、毛沢東は「百花斉放、百家争鳴」をスローガンに、全国の民衆に自由な発言を求めた。結局これは「反革命分子」あぶりだしの手段にすぎず、この反動で起きたのが「反右派闘争」である。この運動で命を落としたものは二千万人以上に及んでいる。
1958年にはかの有名な「大躍進運動」という大々的な国家建設運動が起こった。15年以内にイギリスを追い越し、今世紀中にアメリカを追い抜くという壮大な目標を掲げていた。しかし大躍進運動で大量生産された鉄鋼は何の使い物にもならないクズばかりで、なおかつ大量の農民を重工業生産に大動員したため、農業生産が激減し、三千万人の餓死者を出すに至った。
そして1966年には、誰もが忘れることのない文化大革命が発生した。結局これは、毛沢東が自らの権力維持のために起こした闘争にほかならなかったが、この運動が中国に巻き起こした被害はあまりにも甚大なものだった。商店は次々と破壊され、富んだものはつるし上げられ、虐殺された。教師や学者などは「反革命分子」と見なされ、迫害の対象となった。小学生は公然と自分の担任教師を罵倒し、蹴り飛ばした。先祖が数千年かけて築いてきた文化遺産や宗教施設は「封建時代の遺物」と見なされ、何のためらいもなく破壊された。あらゆる宗教、あらゆる学問、あらゆる経済活動が否定された。中国は悠久の歴史を持つ国というイメージがあるが、中国に長期滞在したことがある人ならご存知のはずだが、中国の歴史的建築の密度は日本よりもはるかに低い。仏教や道教の建築も人口数百万人の大都市に片手の指で数えられる程度しかなく、しかもほとんどが文革終了後に再建されたものである。
香港の『争鳴』誌2001年7月号によると、中国共産党が殺戮した人民の数は7894万人に及んでいる。その内訳は文化大革命2500万人、反革命分子一層で2470万人、大躍進運動で2215万人、抗日戦争時の内部粛清で600万人、反革命活動鎮圧で874万人、長征9万2千人、整風運動7万6千人、 AB団4万人、三反五反運動1万6千人などである。人類史上、これほどまでに大量の民衆を殺戮した例はもちろんない。だが忘れてならないことは、中国は人口大国であると言うことだ。毛沢東は「中国は人口が多いのだから数千万人ぐらい死んだってどうってことはない」と発言している。
中国を約30年間支配した毛沢東は間違いなく人類の歴史の中で最も残虐で、最も大量の虐殺を行った暗君であるが、そんな毛沢東は毎日油っぽいものばかり食べ(そもそも中華料理とは油っぽいので、ここでいう油っぽいとは相当ぎとぎとしたものだと思えばよい)ながら歯磨きをほとんどせず、毎日13歳ぐらいの少女とのセックスを楽しむ変態である。しかし中国ではいまだに全ての人民元紙幣に印刷され、街中に塑像が建てられているなど、あの変態独裁君主を崇拝している。まさにカルト宗教国家である。
改革解放は中国にとって一つの大きな転機となった。改革解放以前とそれ以後の違いを一言で言えば、外国とのつながりを持つようになったことだ。建国から 30年間、中国共産党は絶対的秘密主義による事実上の鎖国政策をとってきたので、国内でどんなに残虐行為を繰り返しても諸外国にはそれほど知れ渡ることはなかった。しかし改革開放政策が始まると、大量の外国人、外国資本が中国を訪れ、多くの中国人が海外へ赴くようになり、世界のマスコミが中国について報道し、中国のマスコミも世界について報道するようになった。中国は世界中から監視されるようになり、必然的に中国共産党の残虐行為は以前よりも「まし」になった。だが忘れてならないことは、中国共産党の暴虐的本質はほとんど変化がないことである。つまり殺戮件数は減ったが、その残酷さは30年前と変わっていないのだ。
1989年には天安門広場で平和的に民主活動を行っていた学生たちを公然と大量虐殺し、99年からは江沢民の一声で大量の法輪功のメンバーが虐殺された。そのほかにも中国では、規模は小さいが、キリスト教系の協会が公安に襲撃されたり、インターネットで反政府的書き込みを行ったものが逮捕されたりなどといった事件が頻発している。
中国共産党の残虐行為は諸外国にも及んでいる。チベット、東トルキスタンは中国共産党の植民地支配下に置かれ、その民族史上最悪の悲劇を経験した。チベットでは人口の5分の1に当たる120万人が虐殺され、40万人が海外に亡命し、全体の99%に相当する4500個の仏教寺院が破壊され、約8割の僧侶が強制的に還俗させられ、現在でも約4千人が政治犯として収容されている。
現在では中国共産党による残虐行為の規模は桁が小さくなり、なおかつ毎年高い勢いで経済成長を遂げている。これを持ってして中国共産党は上手く統治しているという錯覚を持つ者があまりにも多いことに私は失笑せざるを得ない。最近25年間における中国人の経済建設への努力は確かに評価に値する。しかし中国共産党はその硬直的イデオロギーのゆえに、未来への展望が存在せず、ひたすら発展の障害となる悪政を続けている。
中国では経済成長率を上回るペースで16年連続で国防費二桁増となっている。ということは、教育や福祉など、他の分野の予算は、金額は増えているかもしれないが、割合は減少していることを意味している。ほかにも、宇宙開発やオリンピックなど、現在の中国の状況を考えてみれば必要性に疑問が残る事業ばかりに莫大な予算を投入している。中国人は面子を重視する民族であるが、中国共産党はまさに中国の悪しき伝統の象徴であり、国家の面子を重視するがあまり、国民生活とほとんど関係ない大規模なプロジェクトに膨大な国力を費やすのである。
中国共産党の悪性は予算の無駄遣いに留まらない。膨大な人的エネルギーをも投入している。中国では中学校から大学院に至るまで政治の授業が必修である。ここでいう政治とはマルクス主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表論などのイデオロギー教育である。政治教育は何の実用性もなく、教養としての価値もなく、学生たちの知的関心を呼び起こすものでもなく、ひたすら時間と労力の浪費となっている。特に大学院進学試験における政治科目はどれほど人材育成の障害となっていることであろうか。
現在の中国では麻薬、偽札、人身売買、毒入り食品、腐敗、横領、文書偽造、詐欺、窃盗などなどあらゆる類の犯罪で満ち満ち溢れているにもかかわらず、警察はこれらを全く取り締まっていないわけではないが、それほど重視していない。中国共産党が最も取り締まりに力を入れているのは言論弾圧である。われわれ民主国家の人間から見れば、自由な言論は政治や社会を活性化させ、国の発展には必要不可欠なものである。しかし中国共産党は、国や社会の発展や国民生活の向上よりも、自らの権力維持を優先させる。近年普及が著しいインターネットに関しても、30万人のインターネット専用警察を動員し、24時間体制で厳しい管理を行っている。中国共産党にとって政権維持が最重要課題であり、治安維持など二の次なのだ。
中国共産党政権下でいかに中国社会が麻痺しているかは、このあとの論説でも詳しく述べるつもりであるが、この56年間の悪政により、当然ながら中国人民は中国共産党に対して大きな恨みと不信感を持っている。にもかかわらず、中国共産党を打倒しようと言う組織的運動が起こらない、少なくとも表面化していないのには二つの理由がある。
ひとつは今までの中国共産党による悪政、暴政、残虐行為があまりにも激しかったために、人民は現在でも恐怖に慄いているからである。私は中国滞在中、中国人と中国政治について語ろうとしたことがあったが、多くの人は話を始めてすぐに、下をうつむきながら「私たちは政治には興味はありません」と苦笑交じりに述べるだけであった。中国の若者の多くは現在でも、大学進学時に親から「政治に関わっては絶対にいけない」と厳しく忠告を受ける。外国人である私でさえ中国人から幾度となく「政治に関わらないほうがいいよ」「政治に関わっては絶対にいけない」などと警告を受けたほどである。
二つ目の理由は、共産主義イデオロギーが完全に崩壊した今、中国共産党は「愛国主義」によって政権の延命を図っていることである。ここでいう「愛国主義」とは主に「反日」である。反日教育は中華人民共和国建国当初から存在したものであったが、その当時は単なる共産党のイデオロギー教育の一環でしかなく、それほど徹底したものではなかった。だが90年代に入ると、江沢民政権下で本格的な反日政策が行われた。テレビや新聞では日本を批判する報道が毎日のように繰り返され、教育現場では6歳の子供に、かつて日本軍がいかに残虐な方法で中国人を殺したかを生々しく教える。中国各地で抗日記念館が造られ、国際情報誌『SAPIO』は「中国反日名所めぐり」なる特集記事を載せたほどだ。これにより、日本人を見たら石を投げると言うほどではないが、ほとんど全ての中国人には潜在的対日敵対意識が刷り込まれるようになった。中国共産党は国家運営に失敗を繰り返してきたが、宇宙開発や反日教育など、国民生活の役に立たない分野では大々的な成功を収めてきた。
しかし、反日政策は単なる延命効果でしかなく、中国共産党政権を永続させる効果があるわけではない。中国の経済発展はむしろ中国共産党政権を崩壊に向わせていると断言してよい。中国人の経済活動や、社会生活における価値観は30年前と比べて確実に正常な国家の状態になりつつある。その一方で、ただ政治のみが半世紀前からほとんど変化せずに封建的で硬直的で時代錯誤的な状態を続けている。こうして中国経済が発展すればするほど中国の矛盾は拡大してゆく。今や中国人も外国人も多くが中国共産党独裁政権はふさわしくないと考えている。ただその一方で多くの人々は、中国は今繁栄に向っており、中国には明るい未来が待っていると何かの新興宗教の信者のように頑なに思い込んでいる。それがいかに根本的な誤りであるかを、私は次章以降で述べるつもりである。
転載元ブログ
打倒中国共産党